当時、全国の小学生は毎週土曜日は欠かさず見るのが使命だった8時だョ!全員集合(でないと月曜日の学校でクラスメイトの話題に乗り遅れる←致命的)。ディスイズアペンの荒井注がドリフを抜けて入った志村けん。しばらくはどうにもこうにもぎこちなくて、コントでも荒井注の抜けた穴を埋められるのかな〜って子供ながらに心配していたのをこの記事読んで思い出した。その流れがいつの間にか変わって、その後の活躍は誰もが知る通り。でも変わったきっかけは東村山音頭だったのかな、その前に何かがあったっけな。空気が変わった、そのポイントが思い出せない。
地元の公会堂に来るって聞いた時は興奮して絶対行きたい!って母親にねだったけど、結局行けなかったな。あの番組は、生だったから良かったんだよね。客席の怒涛の大爆笑が、興奮と熱気が、テレビを通してガンガン伝わってきた。ハプニングも含めて生がドリフの面白さだったので、あの番組以降のフジテレビ(ドリフ大爆笑)とかにもたくさん笑わせてはもらったんだけれど、それほど入れ込まなかった。録画で、オバちゃん達の笑い声を差し込んでるのなんてやっぱり違うって、心のどこかで思っちゃったんだよな。
でももういないなんて信じられない。努力が天才を超えた笑いの神様。ブーさんが言ったみたいに、志村さんは死なないんだな。
志村けんお笑いにかけた人生「イヤなことがあっても思いきり笑えば忘れられる」
婦人公論.jp
https://fujinkoron.jp/articles/-/1833