昔の名前で出ています(新宿LOFT)

新宿ロフトさんが過去の全スケジュール情報をアーカイブ化してサイトに公開しました。

懐かしすぎる!

っていうかこれ、日本のロックの歴史そのもの。

すごい貴重な情報です。

担当された方にはホントに感謝感謝です!

 

昔、Radica-Ruddica、LOVE CHAMELEONSっていうバンドをやっていて、

スピッツやフィッシュマンズと対バン(共演)したことあるんだよー

って言っても誰も信じてくれないから黙ってたけど、

これが証拠だ!って言えるでしょ。

 

…って、古い話すぎるでしょ!😭

 

 

 

アーカイブサイトはこちら
https://rooftop.cc/loftarchives/

#新宿ロフト #新宿LOFT #下北沢シェルター #下北沢SHELTER #ラディカルディカ #ラヴカメレオンズ

My Ex-band’s Rare Live Tape

My ex-band’s rare live tape was found and uploaded.
This is from our last live show in 1993.
Even I listened to it for the first time.
Nice performance with nice sound quality.
Yeeessss, Check it out!
 

90年代にやってたバンドのラストライブ(1993年)のライン録音テープが発掘、アップされました。

これは貴重! 僕も初めて聴きました。

演奏もテンションも音質もナイスです。聴いてね!
 

LOVE CHAMELEONS / ラヴ・カメレオンズ
恋は嘘とキスで始まる(ライブ)




#LoveChameleons #ラヴカメレオンズ #ラヴカメ #90s #90年代 #indie #rock #ロック

リバプールでアラン・ウィリアムズに会った話

1990年3月、生まれて初めての海外旅行で行ったイギリスのリバプール。当時、一緒にバンドをやっていた仲間との2人旅。僕らはビートルズのメンバーが生まれ育った場所の数々の足跡をついに自分の足で訪ねたという興奮も冷めやらぬまま、初期ビートルズがライブをしていたことで有名なキャヴァーンクラブ (The Cavern Club) 跡地の近くにあったパブでビールを飲んでいた。

晩とは言え、まだまだ寒いオフシーズンの平日に訪れる人も少なかったのか、店内はガラガラ。小さい子ども連れの家族が1組食事しているくらいだった。しかし周りを見渡すと、店のありとあらゆる柱に観光客が残した手書きのカードや名刺が貼り付けられていて、それがハイシーズンの賑わいを想像させた。

しばらくすると、一目で完全に酔っ払いと分かるコート姿の男が1人でフラフラしながら現れた。年季の入ったバーカウンターに立つお姉さんとは馴染みのようで、大声でクダを巻いている。

あの頃の自分にとって、英語、しかもリバプール訛りの酔っ払いが何を言ってるのかなんて、全く分かるはずもなかった。ただ、会話の中のありとあらゆる単語の前に「Fxxkin’」をいちいちしつこくつけていたので、「とんだファッキンじじい」と、僕は心の中で勝手に命名した。

お姉さんとの話がひと段落すると、他に話し相手がいないか物色したその視線の先に、見慣れない日本人が止まったのも無理はない。家族連れ以外に客はいないのだから。

その「とんだファッキンじじい」は、フラフラしながらこちらのテーブルにやってくると、何やら話しかけてきた。

泥酔レロレロのリバプール訛りvs英語ほとんどわかんない日本人観光客の会話。その始めは、きちんとした彼の自己紹介からだった。

「ハロー、俺の名前はアラン・ウィリアムズ。ビートルズの元マネージャーだ」

…と言ってるようだった。

その瞬間、思ったのは…、

「へ? ビートルズのマネージャーと言えばブライアン・エプスタインだろ(彼は1967年に死んでおり、これがビートルズ崩壊の一端になった)。それくらいこの俺でも知ってるわ。何ホラ吹いてんだ、このオッサン?」

そう口にすることは控え(っていうか英語で何て言ったらいいかわからなかったし)、Really? Really?と繰り返していたような気もする。

次に聞いてきたのは、「お前らは日本から来たのか。日本と言えばだなぁ○□×…

と何やら言ってるが、さっぱり分からない。

こちらがお手上げ状態になると、機嫌が悪くなった彼は何やら悪態をついたあげく、「なんとかかんとかファッキンジャパニーズ!」と吐き捨てるように叫んで、ヨタヨタと店を出て行った。

こっちは英語分からなくてもファッキンジャパニーズくらいは分かったので、「ふざけんな、このホラ吹きじじい!」と思ったが、それを英語で言うこともできないもどかしさにイライラした。

帰ることになって支払いをする時、カウンターのお姉さんにつたない英語で「あのじじいはいつもああなの?」と聞くと、彼女は両肩をすくめながら、「しょうがないのよ」と言った(ように思う)。

何となく自分のもどかしさからくるイライラを発散したくて、お姉さんがくれたカードに「さよなら、ファッキンウィリアムズ!!」と書きなぐって、それを観光客のカードで溢れた柱に貼り付けて店を出た。

 

帰国後…、

街の本屋でなにげなく手に取った、ビートルズに関する文庫本。パラパラと立ち読みしていて、あるページに目を奪われた。

ブライアン・エプスタインがマネージャーになる前、あのビートルズを無名時代に手放した、不運な元マネージャー、アラン・ウィリアムズ…

そのページに載っていたモノクロの写真は、間違いなく、あの「とんだファッキンじじい」だったのだ。

じじいはファッキンだったけど、ホラ吹きではなかった…。

これは衝撃の事実だった。

世界中で知らない人はいないほどの存在になったビートルズの才能を、いち早く間近にいながら見抜けなかったこと

マネージャーを辞めた理由が「ビートルズがマネージャー契約料の9ポンドを滞納したから」だったこと

そういうことを知るにつけ、逃した宝のあまりの大きさに、押しつぶされそうなその後の人生が想像され、

寒いリバプールで、きっと毎日のように悪態をつきながら呑んだくれていたのも、それはそれで無理もないことだったのかなーと。

さようなら、とんだファッキンじじい。

あの思い出は、いつまでも忘れません。

 

ビートルズの初代マネージャー、アラン・ウィリアムズが逝去。享年86歳
http://nme-jp.com/news/31690/

SMAP x SMAP 最終回を観て

昨日、最後のスマスマを観ながら思い出したこと。

ラヴ・カメレオンズ時代に作った1曲を、SMAP育ての親であるマネージャー女史宛に郵送したことがあった。自分のバンドやその曲への思いを書いて。事務所の所在地を調べてダメ元で勝手に送りつけたので、返事も全く期待していなかった。数週間後、事務所からとても丁寧な文面のハガキが送られてきて、驚いたのを覚えている。次期シングルは既に決まっているというお断りの内容だった。

数ヶ月後、SMAPのニューシングルとしてリリースされたのは「友だちへ〜Say What You Will〜」という曲。エリック・クラプトンが作詞作曲だった。

調べてみると、当時「世界に一つだけの花」が大ヒットしたものの、この曲があまりに大きくなり過ぎて、次のシングルが1年10ヶ月も出せなかった空白の時期だった。それだけメンバーもスタッフも悩んでいたのだろう。

今では音楽の教科書にも載っているというこのモンスター級の曲で番組を締めくくったのは、SMAPの存在を改めて世に示したとともに、不変なはずのものもいつかは終わるという2016年の様々な出来事を象徴しているようで、切ない気持ちになりました。

 

中居正広の“男泣き”にファン号泣「SMAP×SMAP」5人で最後の“世界に一つだけの花”
https://mdpr.jp/news/detail/1649736

40th Anniversary of RUSH 2112

RUSH’s album “2112” was released on April 1, 1976.

RUSH is definitely one of the best rock bands in the world. When I was 14 years old, I listened to the album “Hemispheres” first time at the room of my classmate. Still remember that blew my mind and since then, I thought I wanna play bass freely like Geddy Lee someday.

At the age of 20, I was luckily enough to watch their one and only live tour in Japan at Budokan. Alex Lifeson started to play guitar intro of “The Spirit of Radio”, that was the most exciting moment of my life. Because, I didn’t think RUSH came to Japan for live act. And it’s true, the band hasn’t come back to Japan since then.

It’s sad that Neil Peart announced his retirement from playing live. His drum sound was always sharp and powerful, but in exchange, that made his body exhausted, I guess. So, the memory at Budokan goes to eternity inside of me. Anyway, happy anniversary!

 

EPITAPH(エピタフ)復活!!!FBページをチェック!

遠い遠いその昔、go greenのKenjiが、Bassで参加していたインディーヘビーメタルバンド…。

その名は

「EPITAPH(エピタフ)」!!

実は2016年2月7日(日)下北沢で、な、なんと約30年ぶりとなる限定復活ライブが決定!

そのライブに向けて新しく作られたこちらのFacebookページでは、当時(80年代中期)のバンドの資料や音源など、あまりにも懐かしすぎて、もはや逆に新しい(?)情報が次々にアップされています。

単にヘビーメタルというジャンルに収まらない音楽性とパワー。ぜひこちらをチェックして体感して下さい!

 

Long long time ago, there was a super heavy metal indie band called “EPITAPH” in Tokyo Japan. Actually, go green Kenji was a bass player in this band.

And now, it reunited and going to play one time limited live for the first time in nearly 30 years!!!

Here is Facebook page newly made for the upcoming show. We’ll post very old pics, info and music tracks that might be even “New” for younger kids.

Full of power and something different from the ordinary heavy metal sounds. Please check out here!

 

EPITAPH(エピタフ)on Facebook
https://www.facebook.com/epitaph.jpn