1990年3月、生まれて初めての海外旅行で行ったイギリスのリバプール。当時、一緒にバンドをやっていた仲間との2人旅。僕らはビートルズのメンバーが生まれ育った場所の数々の足跡をついに自分の足で訪ねたという興奮も冷めやらぬまま、初期ビートルズがライブをしていたことで有名なキャヴァーンクラブ (The Cavern Club) 跡地の近くにあったパブでビールを飲んでいた。
晩とは言え、まだまだ寒いオフシーズンの平日に訪れる人も少なかったのか、店内はガラガラ。小さい子ども連れの家族が1組食事しているくらいだった。しかし周りを見渡すと、店のありとあらゆる柱に観光客が残した手書きのカードや名刺が貼り付けられていて、それがハイシーズンの賑わいを想像させた。
しばらくすると、一目で完全に酔っ払いと分かるコート姿の男が1人でフラフラしながら現れた。年季の入ったバーカウンターに立つお姉さんとは馴染みのようで、大声でクダを巻いている。
あの頃の自分にとって、英語、しかもリバプール訛りの酔っ払いが何を言ってるのかなんて、全く分かるはずもなかった。ただ、会話の中のありとあらゆる単語の前に「Fxxkin’」をいちいちしつこくつけていたので、「とんだファッキンじじい」と、僕は心の中で勝手に命名した。
お姉さんとの話がひと段落すると、他に話し相手がいないか物色したその視線の先に、見慣れない日本人が止まったのも無理はない。家族連れ以外に客はいないのだから。
その「とんだファッキンじじい」は、フラフラしながらこちらのテーブルにやってくると、何やら話しかけてきた。
泥酔レロレロのリバプール訛りvs英語ほとんどわかんない日本人観光客の会話。その始めは、きちんとした彼の自己紹介からだった。
「ハロー、俺の名前はアラン・ウィリアムズ。ビートルズの元マネージャーだ」
…と言ってるようだった。
その瞬間、思ったのは…、
「へ? ビートルズのマネージャーと言えばブライアン・エプスタインだろ(彼は1967年に死んでおり、これがビートルズ崩壊の一端になった)。それくらいこの俺でも知ってるわ。何ホラ吹いてんだ、このオッサン?」
そう口にすることは控え(っていうか英語で何て言ったらいいかわからなかったし)、Really? Really?と繰り返していたような気もする。
次に聞いてきたのは、「お前らは日本から来たのか。日本と言えばだなぁ○□×…
と何やら言ってるが、さっぱり分からない。
こちらがお手上げ状態になると、機嫌が悪くなった彼は何やら悪態をついたあげく、「なんとかかんとかファッキンジャパニーズ!」と吐き捨てるように叫んで、ヨタヨタと店を出て行った。
こっちは英語分からなくてもファッキンジャパニーズくらいは分かったので、「ふざけんな、このホラ吹きじじい!」と思ったが、それを英語で言うこともできないもどかしさにイライラした。
帰ることになって支払いをする時、カウンターのお姉さんにつたない英語で「あのじじいはいつもああなの?」と聞くと、彼女は両肩をすくめながら、「しょうがないのよ」と言った(ように思う)。
何となく自分のもどかしさからくるイライラを発散したくて、お姉さんがくれたカードに「さよなら、ファッキンウィリアムズ!!」と書きなぐって、それを観光客のカードで溢れた柱に貼り付けて店を出た。
帰国後…、
街の本屋でなにげなく手に取った、ビートルズに関する文庫本。パラパラと立ち読みしていて、あるページに目を奪われた。
ブライアン・エプスタインがマネージャーになる前、あのビートルズを無名時代に手放した、不運な元マネージャー、アラン・ウィリアムズ…
そのページに載っていたモノクロの写真は、間違いなく、あの「とんだファッキンじじい」だったのだ。
じじいはファッキンだったけど、ホラ吹きではなかった…。
これは衝撃の事実だった。
世界中で知らない人はいないほどの存在になったビートルズの才能を、いち早く間近にいながら見抜けなかったこと
マネージャーを辞めた理由が「ビートルズがマネージャー契約料の9ポンドを滞納したから」だったこと
そういうことを知るにつけ、逃した宝のあまりの大きさに、押しつぶされそうなその後の人生が想像され、
寒いリバプールで、きっと毎日のように悪態をつきながら呑んだくれていたのも、それはそれで無理もないことだったのかなーと。
さようなら、とんだファッキンじじい。
あの思い出は、いつまでも忘れません。
ビートルズの初代マネージャー、アラン・ウィリアムズが逝去。享年86歳
http://nme-jp.com/news/31690/